結局のところ答えはないんですが
ただ今の日本人はこの質問に対する態度に矛盾があるようにも思えます。
「国民のために善政をする国王が統治する君主制の国家と、
民主主義だが腐敗して汚職がはびこる国家ならどちらがいいか?」
と聞くと、基本的に8~9割は後者の回答をする人が多いです。
銀雄伝でも、
「我が国民は民主主義を維持する努力を怠った、だから同盟は民主主義とともに滅ぶべきなのだ」
という言質があったのですが、個人的に言えば
それこそフレーゲルの滅びの美学では?
そしておそらくそれは正しい選択ではない。
政治形態・社会制度と言うのは人間が生きていくうえで便宜上のルールであって
人間をより上に立つ政治形態・社会制度など存在しないというのが私の理論なので
人類が滅亡してでも守るべきルールなどありえないとは思っています。
我が国の民主主義の腐敗は、
同盟と同じく民主主義を維持する努力を怠けていた結果です。
主権者たる国民には政治の責任があるというのに、
そもそも国民の半数が選挙に行かず、さらに政治の責任を政治家に求める有様です。
特に民主主義反対派のマスコミ各社による政治家バッシングが日常的ですし
みんなのためのお金である国家予算を福祉にばかり要求して
未来への投資については否定的です
軍事費はバランスが重要なのでそれはともかく教育・研究費まで削って
自分たちの生活を豊かにしようとするのはもはや民主主義としては崩壊しています。
池上さんも日本の民主主義が不完全であると言ってますが
これは我が国の歴史的な経緯に問題があります
大きく理由として2つあり
1つ目は「日本人は民主主義を採用したのではなく、採用させられた」からです。多くの民主主義国家は民主主義を権力者と戦って「獲得」しております。しかし我が国は戦後に民主主義を法律で定めたという経緯のため、当初国民が望んでいたわけではないというところ。
2つ目は日本の非民主的政治が安定していたことによります。中世時代は武家が実権を保有していますが、彼らには下剋上という概念があり、つまり実力者が実験を握るということを理解していました。そのため、実権を握った後も、それを維持する努力をしており、比較的日本では悪君・暴君タイプの人物が少なかったからです。西洋の貴族学である「高貴な義務(責任)」を一番理解していた民族でもあります。
いわゆる革命に相当する土一揆ですが、やはり起こるのは飢饉の年とかで領主に必要以上の実力が要求されるような状況下だったりしますし、領地単位が多く、幕府そのものに対しての土一揆は非常に限定的です。この点から、日本の特権階級による政治は比較的良好であったため、現在でも日本では名門・名家というのは維持されております。
このことから、日本では「職業政治家」が認知されている風潮であり
世襲政治自体を否定していません、そのため政治は政治家が行うものであり
その責任を政治家に求める風潮になったのだと思っています。
さてでは話は戻って、腐敗した民主主義はどのようにして治癒するのか?
専制君主であれば、その根拠は国王なので、世代が変わればいいですし
最悪革命などで実権を奪取するという手段になります。
民主主義の主権者は国民なので、国民を入れ替えるということは出来ません。
しかしでは革命を起こして実権を手に入れるという行為はタブーになっています。
民主主義は革命が平和的に行われることを利点としています
しかしながら、それは民主主義そのものが腐敗していないことが前提であって
腐敗してしまった民主主義には平和的に腐敗を取り除く方法がありません。
・・・・ないことはありませんが、その方法はこれまたタブーとされています。
理由は、その方法により民主主義の腐敗を排除することに成功した人物がナチ党ヒトラーだからです。
ただヒトラーは、腐敗を排除した後に、民主主義を廃して独裁制に移行させています。
少なくとも権力を手に入れるまでのヒトラーはあまり否定はされません。
ドイツとドイツ国民のための行動を起こし、国民の97%とい信任を得ていますからね。
やはり独裁制は安定性に欠けるのでその後は暗くなりましたが
そこで私が立てた仮説が
「Machtergreifung(ナチ党の権力掌握)により権力を掌握して、腐敗を排除した後に
その実権を民主主義に返すという方法であれば民主主義の腐敗を排除しつつ、
民主主義を維持できるのではないか?」
理論は正しい、しかしこれは劇薬治療でもあります。
非常に依存性・中毒性が高いので、権力放棄の時期を見誤れば
ヒトラーにならざるを得なくなります。
まぁ兄と同じく私も政治家になるとは現時点では考えてませんが
もし実行に移すにしても兄の政治を見てから決めてもいいかなと思っています。