アリス商店

アリスの雑記帳

疲れた

そういえば衛生幹部が精神が疲れた時は物思いに耽るのが一番良いと言っていたかな

少し昔を振り返りますか

 

リネ2との出会いは高校の時だったかな、親友から誘われてだった

実はその前はRO(ラグナロクオンライン)をプレイしてて

MMORPG自体は初めてではなかったけど

どうも私はリアル系よりもファンタジー系が好きな傾向があるので

最初はうーんという感じだった

でも2D(2.5D?)から3Dゲームというのはなかなかに新鮮だった記憶がある。

 

まぁROのせいもあって、迷わず騎士を選択した

ちなみにROの騎士は、癖がなく安定した戦闘力があるので

最初のキャラとしては比較的使いやすいしかも騎士はソロができるという認識でソロでレベル上げをやってたので

そういう意味ではなかなか廃人適性があったんだなと今になっては思う

そもそも当時は運動部で部活後にMMOとか体力が有り余ってたんだなぁと思う今日この頃

タンクって本来ソロ職じゃないよ?と言われたのがLv61になった時のことである。

笑われたが「君すごいね、戦争しないか?」ってことで誘われたのがフランツ鯖の焔組だった。リネ2初の血盟が戦争大手かつ血盟戦血盟というのは今となっては恐ろしいことかもしれない。

 

ただ興味深かったことの1つとして盟主焔剣ouyo氏だった。当時は確か最高レベルが78で血盟のほとんどが76~78で占められていたが焔剣ouyo氏はLv63とほぼ私と同じというものだった。当然血盟戦に耐えうるレベルではない。また非常に温和で交戦意欲がなく覇気がなかった。なぜこの人物が血盟戦血盟犇めくフランツサーバーで最高級の名声を得ていたのかは非常に興味深かった。

 

もう一つは血盟戦の焔のルールだった。絶対に敵を煽ることをするなとは厳命された。

襲撃に成功すれば黙って帰還し、襲撃されたら黙って最寄りなさい、と。

 

OZ同盟の在籍時、終始にわたって敵対したのはLastGigs、ZOOというところだった

死兆星というのもあったが、確かレベルが違いすぎて会ったことはない。ZOOの園長とは一度だけ交戦した、ただBOT使用中で一切反撃せず65盾の私が75短剣を5分ぐらい素殴りで倒すという不完全燃焼な戦闘であるが。(園長はPKであるが、その筋の人にはカリスマだったようで動画でも視聴者が多い、その分BOTが発覚したのは大変な騒ぎだったのを覚えている、一時期血盟内で英雄扱いを受けてた)

 

一応世間一般ではPK、MPKをすることから害という認識であり、OZ同盟は対害であると称されていたが、血盟としては否定していた。

自分たちは害と戦っているのではなく、自分たちの主義主張を貫くために血盟戦戦力を保有しているのだと。もちろんゲームだから何が正しく間違いとかは言えないが、焔組はそれでも正々堂々と活動し、不当な脅迫のみ自衛手段として血盟戦を行うというスタンスだった。

 

高校卒業とそして焔剣ouyo氏の寿引退もあって私の最初のリネ2は一旦休止に入る。復帰はその時点では考えていないので引退ともいえる。ただ焔組はそういう意味では血盟戦血盟として私の指標であるし、今でも血盟戦血盟というものに価値を見出すなら焔のような存在だろうという認識を持っている。

 

幹部昇任後、個室を与えられ比較的趣味を嗜む余裕ができたので

ネットを引いてまたネトゲをしようと思った。

当然に焔組はどうなったのだろう?と調べた。

非常にショックだった。

 

血盟戦血盟が存在するには、それなりの鯖人口は必要である。今のリネ2で血盟戦血盟がやっていくのは非常に厳しいものである。時代の波で解散したとか、血盟戦血盟の看板を落ろしたかであれば、何も感じなかったかもしれないが、とある人のブログを見る限り血盟戦相手に煽りのシャウトやWisをしているのを見て愕然とした記憶がある。

焔組は最高の血盟戦血盟と思っていただけに晩節を汚して終わったことは非常に残念だった。

 

このためフランツでの開始(焔はルナに移住したのだっけ?)はやめて

当時おすすめサーバーであったエリカで再開することになった。

だがもはや、城を保有して、最強の血盟を作って、、、という覇気は既に私にもなかった。

 

焔組の件は残念だったが、リネ2はそれでも学生時代楽しんだゲームである。せめてサービスが終わったその時に「楽しかった」と言って終わりたいと思った。サービスに永遠はないが、私の活動がその日が来るのが1日でも遅くなればと思っている。

 

ゲームは楽しんだ者が本当の勝利者であるし、せっかくの縁である、リネ2の現プレイヤー全員が等しく勝利者となれることを願いたい。