格言にもありますが「長く続いたものは何かしら必ず本質を得ている」と
我が家は、始祖神八幡様から続いていますが、とりあえず
今の家業はだいたい500年ぐらい前に創業しています。
財閥からコンチェルン・グループとして今や何でも屋ですが
本社は茶屋になります。
「茶道とは何か」
は、我が家の血筋としては永遠のテーマではあります。
兄・妹と3兄弟とも裏千家家元からおゆるしの書を頂いておりますが
もともと千家も茶道の一流派であって、それが茶道を意味するわけではありません。
それに我が家は創業としては千家よりも早く、薮内流や松尾流も扱っていますので
千家に拘るのも変な話ですしね
「茶道の本質は何か」
代々の当主は、形式に固執はしていませんでした。
茶道と聞けば、いわゆるお抹茶を浮かべるでしょうが、それも茶道の一部です。
先々代の曾祖父の作品は、現代の共通規格からすると2回りも小さいです。
ただ明治時代は江戸時代以上に日本人は小柄であったそうですから、当時は普通だったのかもしれません。
また戦後はGHQの命令で茶筌を3000本卸していますが、使われたのは抹茶ではなく番茶でした。
さらに、その後、日本伝統工芸が流行ったようで、外国人用に取っ手部分を長くした
バンブーミキサーを特別に作ってたりするので、もはや伝統という「形式」に拘ってないことは確かのようです。
しかし我が家に買いに来るお客さんの中にはたまに変わった方がいまして
欠けた茶碗や、虫食いが入ってしまった茶器を好んで買われる方がいます。
そのお客さんにとっては「わびさび」にあたるようですが
もし千利休のわびさびであれば、おそらく、茶碗が欠けるまで、虫くいが入るまで大事にその茶器を使い続けた飾らない自然な姿こそがわびさびの本質であって、お金でそれを手に入れようとした時点でモノの本質を外してしまっているのではないかと思っています。
先代の祖父が亡くなる3か月前に兄と2人で御前に呼ばれました。
次代である父が呼ばれなかったのは、おそらく茶道とは何かの課題をクリアできなかったのでしょう。
兄は茶道において、はやり形が重要ではないという答えには至っておりました。
茶道も喫茶であり、お茶を楽しむためのものであって、食事マナーと同じく
形式を守るためことが重要ではなく、お茶を楽しむための作法であると。
私は、茶道は一期一会であり、家主は、その時に最高と思う器と、菓子を選ぶ
それは単に独りよがりの最高ではなく、もてなす相手を考えてのことであり
茶道とは、その精神である。
小さな子供にオレンジジュースとクッキーを出すこと
若い女性にカフェオレと洒落たケーキを出すこと
夜勤で働いている人に香りを犠牲にしても濃い目のあついコーヒーと糖分が多い餡子を出すこと
これらは全て茶道であり、この思いやりこそ茶道の本質である
先代は納得したようで、兄と2人とも家督を継ぐことが許されましたが、私に対しては「天佑には、我が家は狭すぎるかもしれないから、いっそのこと外に出るのもいいかもしれない、兄とよく相談して決めなさい」と言われました。
その後、兄と話し合って、両方とも家をそのまま継がないことで合意しました。
お互いに伝統に胡坐をかけば必ず家を潰すという認識があったので
社会に出ようということで兄が民間企業で私が公務員になったって感じですね。
兄は、あと数年で家を継ごうかと考えているようですが
私は定年退官後と決めてるので、とりあえず20年後になりますね。
茶道は我が国の伝統文化でも、重要な存在ですので
自分たちのせいで廃れさせたくはないので、その本質については常に探究心を持っていきたいと思います。